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写真家 岡田敦 - Office Okada | Official Blog

I kiss the world by taking the photograph

■ 『Hit→You!2009』一橋新聞部発行・幅諒子

 08年に「写真界の芥川賞」とも例えられる木村伊兵衛写真賞を受賞した写真家、岡田敦。受賞作『I am』には、今を生きる10代、20代の若者たちの姿がある。真っ白な背景の中に浮かび上がる彼らの顔。視線はときに伏せられ、ときに前を見据え、鋭くこちらを射抜く。ページをめくると、今度は首から下の裸の身体があらわれる。そのなかには時おり、腕に傷跡をもつ者がいる。受賞に加え、モデルの中にリストカット(自傷行為)の経験者がいることが話題を呼んだ。

 自分の身体を傷つける者、そうでない者、彼らの瞳に写るカメラを構えた岡田、共通するのは「生きている」こと。「人が生きているとはどういうことか。毎日当たり前のように生きているけれど、きっと一番大事なことがそこに隠されている気がする。それを知りたいがために僕は作品を作っている」


ものづくりをしたい 18歳の転機

 自身の制作活動を「ものづくり」と呼ぶ岡田。彼が何かをつくるのは、感情が揺さぶられるような出会いがあったとき。自身の心と向き合うための手段が、岡田の場合は写真であった。始めからその手段を持っていたわけではない。画家である叔父の影響もあって、幼いころから「ものをつくる人間」への憧れを抱いてはいたが、芸術家の道へ踏み切る勇気はなかった。自分は周囲の人とどこか違う、そんな居心地の悪さを感じながら進学校で受験勉強を続け、「窮屈だった」と10代を振り返る。
 大学入試センター試験の当日、ついに無理を重ねることが嫌になった。「なにやってるんだろう、俺」。問題を解く手を止めた。次の日、誰もいない高校の教室で一人考える。やはり自分はものづくりがしたい。芸大に行こう。

 突然の決意。当然家族や高校の先生には反対された。「お前は馬鹿か、って」。芸大を目指すといっても、それまでは趣味で絵を描いていた程度。写真には興味がなく、「写真家もせいぜい“アラーキー”くらいしか知らなくて、むしろ『写真ってださい』くらいに思っていた」。絵画か、工芸か、「どの分野でもそこそこにはなれるとは思っていたけれど、一流になる才能がないこともわかっていた」。表現の手段を探していたある日、書店でたまたま写真家の作品集を手にする。そのとき、直感的に「写真家になる気がした」


「死」に惹きつけられ 感情のままに撮り続ける

 1年間の浪人の後、大阪芸術大学の写真学科に入学。そこで岡田は、ひたすら撮ってはプリントする日々を送る。ようやく得た自由に表現できる環境。しかしそれは親しい人から離れた一人きりの生活でもあった。そこで岡田は初めて、自分という存在の深い孤独を自覚する。その孤独感が、彼を「ものづくり」へと向かわせる。生きることへの恐怖と向き合いながら、初の作品集『Platibe』が制作された。

 そして在学中、思いがけない現実が岡田に衝撃を与える。「周りに何人か手首を切っている子がいて、テレビや映画の中の話だと思っていたからすごく驚いた」。身近な自傷行為者の存在。なぜ自らを傷つけるのか。疑問を抱き調べていくものの、当時は自傷行為の社会的認知度が低く、関連した本などはほとんどない。代わりに見つかったのは、インターネット上の膨大な「リストカット掲示板」だった。社会の隠された部分には、自分の命に関わる悩みを顔も名前も知らない人に打ち明ける世界が存在している。その現実を知ったとき、岡田は「社会が得体の知れない化け物になったような」激しい恐怖を感じた。その恐怖と向き合いながら制作されたのが、2番目の作品集『Cord』だ。ページには「死」を連想させる被写体――血のついたカミソリ、虫の死骸、薬のビン――そして時おり、「リストカット掲示板」からの引用。この『Cord』は、大学4年時、『Platibe』の富士フォトサロン新人賞受賞と同時に発表され、波紋を広げた。特に若い読者からの反響が多く、「自分を撮ってほしい」との連絡も寄せられるようになった。


真摯に生きる者たち 彼らの姿を撮りたい

 『Cord』を制作しながら、「死」への意識は次第に「生」へと向かう。「次は人を撮らなければ」――その思いが、3番目の作品集『I am』につながった。大阪芸大を卒業し、東京工芸大学の大学院在学中に制作されたこの作品で、岡田は「人を撮る」ことの難しさに直面した。彼が考える「人を撮ること」はただ会ってシャッターを押すことではない。相手と真に正面から向き合うことが必要で、そのためにはまず自分と向き合わなければならない。モデルとして集まった若者たちには、「撮られる」ことで何か変わりたい、変化のきっかけにしたい、という強い覚悟があった。その彼らと1対1で向き合った岡田は「油断するとこちらが飲み込まれてしまうような強いエネルギー」に圧倒される。苦しみながらも真摯に生きようとする者の強い眼差しが、撮影していないときも脳裏に焼き付いて離れない。「毎晩うなされて、どうしてこんなにつらいことをやっているんだろうと何度も思った」。

 しかし、自分を「ものづくり」に向かわせる「生」と「死」の現実がある。「そういう世界があることを知っているのに、そこから逃げて何かきれいなものをつくるのは薄っぺらいと感じた」。自分が表現活動をつづけていくうえで、一度は経験しなければいけない道ではないか。何よりも「生きる」という問いの答えに近づきたかった。「傷があるからとかではなく、彼らの生きることに必死な姿に惹かれて、撮りたいと思った」


社会の反応 それまで含め「作品」

 岡田が向き合った「生」のリアリティこそが、『I am』の主題。だが制作直後の日本では、「リストカット写真集」と呼ばれ、作品の一部でしかない自傷行為ばかりが興味本位に注目された。実際には、リストカットしていない「普通の」モデルもおり、顔と腕や身体は別々に撮られていて誰が自傷行為者なのかはわからない。「現実の社会でも、顔を見ただけではその差異なんてわからない。けれど世の中の多くの人は、リストカットをしている人は『おかしな人』だと括って事実から目を背けてしまう」。そして、「この反応こそが社会の問題をあらわしていて、そこまで含めて『I am』という作品だった」と語る。

 「自分はフォトジャーナリストではない」と言う岡田。『I am』で、真っ白な背景にただ人物だけを写したように、被写体のプライベートに踏み込んで問題の答えを探るようなことはしない。彼の写真は事実を見せるだけで、見てどう感じるかはその人次第なのだ。「始めから社会をどうにかしようと思って作品を作ることは嘘くさく感じる。自分が疑問を感じたり何か心を動かされてつくったものが、結果として社会を動かすものになればよい」。だが『I am』の本質を見ようとすらしない当時の社会。展示や出版の機会を得ること自体が困難だった。

 厳しい現実に直面するなかで、幸運にも岡田の活動を応援してくれる人との出会いもあった。ある新聞記者は、受賞前から岡田に注目し、何度記事がボツになってもずっと取材をつづけてくれた。「僕が腐りそうになったときに支えてもらえた。一人で自分を信じつづけることは難しい」。撮影から2年たって、『I am』を出そうという出版社も現れた。そして08年の受賞。社会もやっと、岡田が写す現実に目を向けるようになったのだ。


「生」のリアリティ追求し 新たなステップへ

 自分が今感じたことを、今つくり発表することに意味がある。これまで、そんな思いで作品をつくってきた。しかし、『I am』を出版したことで「ひと仕事やり終えた」と感じ、制作の姿勢が変化してきたという。

 そして、「生」に対して新たなアプローチを試みる。「今の日本は、生まれるのも死ぬのも病院の中で、現実感がない」。そう考えた岡田は、出産の現場に立ち会って写真を撮る経験をした。「人が生まれてくる瞬間を見たいと思った」。命がけで産む母親と産まれてくる赤ん坊。それはまさに「生」そのもの。「リアリティのある体験だった。壮絶だったけれども、とても美しい。どんな小説や映画よりも感動的で、人が生まれてくることに比べたら、自分がものをつくっていることなんてすごくちっぽけに思えた」。それでも、感情を震わす出会いがある限り、岡田が「ものづくり」をやめることはない。

 「確かなものに近づいている手ごたえはあるけれど、のぼるほど遠くに行く気もする」。気鋭の表現者の、「生」への果てなき問い。ファインダーをのぞきながら、彼はその答えを希求する。


プロフィール
岡田敦(おかだ・あつし)
79年、北海道稚内市生まれ。大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業。大学在学中の02年に、『Platibe』(窓社)で富士フォトサロン新人賞を受賞。08年東京工芸大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了、芸術学博士。大学院在学中に制作した『I am』(赤々舎)が08年33回木村伊兵衛写真賞受賞。国内のみならず、韓国やオランダなど海外でも注目される。
  1. 2009/03/19(木) 19:58:53|
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