写真家 岡田敦 - Office Okada | Official Blog

I kiss the world by taking the photograph

■ 木村伊兵衛写真賞35周年記念展

#岡田敦 #木村伊兵衛

木村伊兵衛写真賞35周年記念展

写真界の“芥川賞”といわれる「木村伊兵衛写真賞」は日本写真界の発展に寄与した第一人者、
故・木村伊兵衛氏の功績を記念して朝日新聞社が1975年に創設した写真賞です。
写真界の貴重な財産であるこの受賞作品は朝日新聞社より川崎市市民ミュージアムに
全作品が寄託されています。

今回の企画展示では、近年の受賞作である第30回から第35回の作品と、昭和を代表する
写真家であり、スナップの名手である木村伊兵衛の作品、そして第1回(1975年度)から
第29回(2003年度)までの受賞作品のダイジェストをご覧いただけます。


■ 木村伊兵衛写真賞35周年記念展
期間:2010年11月13日~2011年01月10日
場所:川崎市市民ミュージアム

展示作家:
第30回(2004年度) 中野正貴
第31回(2005年度) 鷹野隆大
第32回(2006年度) 本城直季 
第32回(2006年度) 梅 佳代  
第33回(2007年度) 岡田 敦
第33回(2007年度) 志賀理江子
第34回(2008年度) 浅田政志
第35回(2009年度) 高木こずえ
木村伊兵衛作品


川崎市市民ミュージアム
Tel:044-754-4500
Fax::044-754-4533
〒211-0052川崎市中原区等々力1-2
http://www.kawasaki-museum.jp/display/exhibition/exhibition_de.php?id=154
 
 
  1. 2010/12/01(水) 00:00:03|
  2. 写真集「I am」関連

■ 『プレス空知』『北海道通信』

■ 『プレス空知』2010年8月18日(水)

新しい価値観を世の中に提示することが大事
木村伊兵衛写真賞の写真家・岡田敦さん


写真界の芥川賞といわれる第33回木村伊兵衛写真賞を受賞した、北海道出身で新進気鋭の写真家岡田敦さん(31)が11日、岩見沢東高で講演した。同校写真部主催で、岩見沢西高写真部の生徒らが参加。岡田さんを囲んで受賞作品などをスライドで見ながらプロ写真家の活動に触れた。

同賞受賞の写真集『I am』(赤々舎)は、リストカット(自傷行為)を繰り返す若者のもろさと危うさに迫ったポートレート。岡田さんは「この作品を文化としてオープンにできない時代だったので、写真集はもちろん展示もできない状態が2年続いた」という。

「アーティストの仕事は新しい価値観などを世の中に提示することが大事。受け入れやすいもの、評価されやすいものだけをつくるのではなく、最初は批判されたり、こんなもの出しちゃだめだといわれるものを作りながら、新しいものの見方や価値観などを築いていくことを感じて育ってくれたらと思う」

岡田さんの写真集『I am』を最初に取り上げたのは韓国の海外メディアで、作品が国内で展示できたのは木村伊兵衛写真賞を受賞した後だった。「作品が公の場に出る時代が来たということで、作家としては作品を知ってもらえることはうれしいけれども、それは世の中が平和になっている証しではないので、自分の作品だが複雑な思いがする」と話した。

岡田さんは現在、アップル社の多機能情報末端「iPad」向けの写真集『ataraxia(アタラクシア)』(青幻舎)を再編集した専用アプリ(600円)、「iPhone」用(450円)を販売するなど、新しい写真集を手がけている。

タイトルのアタラクシアは、心が平穏な状態という意味で、物質や肉体で満たされる幸せではなく、心が穏やかで幸せな状態。音楽も付いており、「聖書や賛美歌の世界に近づけたら」と岡田さん。「20代の時は人が目を背けたくなるような作品を作っていた。それは作家としてそうしなければいけないと思っていたので、あえてそうしてきたが、10年続けてきて、自分の作品をずっと見てくれてきた読者の人たちの救いになるような作品を作りたかった」として、今後の写真活動については「30代前半に、光や祈りが伝わる作品を作りたい」と話していた。

岡田さんは稚内生まれ、大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業、東京工芸大学大学院修了、芸術学博士。この日は帰省を機会に生徒らと交流の場が持たれた。

テーマの決め方について生徒らの質問に答えて、岡田さんは「若い時はあまりテーマを絞らないでたくさん撮った方がいい。テーマを決めるとそれ以上のものが作れない。僕は20歳から写真をはじめたので、10代の時の作品がない。みなさんは今の自分の写真をたくさん残しておくことが今後自分の財産になると思う」とアドバイスしていた。




■ 『北海道通信』2010年8月16日(月)

木村伊兵衛賞受賞・岡田氏
写真家の仕事など紹介


岩見沢東高校は11日、写真部講演会「木村伊兵衛写真賞作家を囲む会」を同校で開催した。講師に岡田敦氏を迎え写真家の仕事内容や作品を紹介。同校の写真部、美術部、岩見沢西高校の写真部の生徒が参加し、芸術を生む心の感性を養った。

岡田氏は1979年生まれ、札幌市出身。2003年大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業後、2008年東京工芸大学大学院へ進んだ。2002年に富士フォトサロン新人賞、2008年に第33回木村伊兵衛写真賞を受賞。『I am』『ataraxia』などの写真集を発表してきた。(略)

第33回木村伊兵衛写真賞に選ばれた写真からなる『I am』ではリストカットをした若者を紹介。様々な反響があったことについて、「アーティストの仕事は新しい価値観や道徳を世の中に提起していくことが大切。評価されやすいもの、受け入れられるものばかりを扱っていてはいけないと思う」と持論を述べた。

また、写真作品を紹介しながら写真家を目指したころの不安な気持ちについても語った。

講演後は、生徒の写真に対して具体的にアドバイスしていた。

岡田氏は「自分の可能性を信じて夢に向かっていってほしい」と期待。

岩見沢東高校写真部顧問の朝田憲介教諭は「本物にふれることが大切。将来の夢の現実に向けて大きな刺激になったと思う」と話していた。



  1. 2010/08/18(水) 00:00:01|
  2. 写真集「I am」関連

■ 写真集『I am』 / My fourth photograph collection "I am"

第33回木村伊兵衛写真賞受賞作品
岡田敦写真集『I am』
アートディレクション: 町口景(マッチアンドカンパニー)
価格:2800円+税
刊行:2007年07月24日
発行:(株)赤々舎


舟越桂(彫刻家)
キズを持つ彼らをわかろうとした人がいた‥‥‥。というよりも、
その写真家の心に対して この若者たちが示した理解と安らぎが、
寄りそえた時間の証しと記録として 現れたのだと思う。



朝日新聞 仕事力 姫野希美「写真界に風穴を開ける」より
生々しい、という美しさ

 編集出版した『I am(アイ アム)』(著者・岡田敦)という写真集は第33回の木村伊兵衛賞をいただきましたが、初めてその写真を見た時の強い印象を今も鮮明に覚えています。数ミリ単位で刻まれた、生々しい傷跡が何十本も手首からずっと上まで続く細く白い腕。若い人のきゃしゃな裸体。真っすぐにこちらを見る被写体の表情。かなり長い間、見ていたような気がするのですが、私は美しいと思いました。生きにくさを感じながらもギリギリのところで生きている切迫感やせつなさが写っていたのです。

 それは理屈とか価値観で非難したり隠したりするものではありません。今、この時代に明らかに呼吸している人間の姿です。美しさってすでに存在しているものではなく、常に新しく生み出されてくるものだと思います。従来の基準で、きれいとか汚れているとかを判断するものじゃない。その新しさに巻き込まれながら、人間の普遍的な生々しさに届いた表現がアートなのだと思います。だからひりつくような真っすぐな写真が美しかった。


朝日新聞 仕事力 姫野希美 2010年01月17日
http://www.asakyu.com/column/?id=793
  1. 2010/05/01(土) 00:00:05|
  2. 写真集「I am」関連

■ 『Hit→You!2009』一橋新聞部発行・幅諒子

 08年に「写真界の芥川賞」とも例えられる木村伊兵衛写真賞を受賞した写真家、岡田敦。受賞作『I am』には、今を生きる10代、20代の若者たちの姿がある。真っ白な背景の中に浮かび上がる彼らの顔。視線はときに伏せられ、ときに前を見据え、鋭くこちらを射抜く。ページをめくると、今度は首から下の裸の身体があらわれる。そのなかには時おり、腕に傷跡をもつ者がいる。受賞に加え、モデルの中にリストカット(自傷行為)の経験者がいることが話題を呼んだ。

 自分の身体を傷つける者、そうでない者、彼らの瞳に写るカメラを構えた岡田、共通するのは「生きている」こと。「人が生きているとはどういうことか。毎日当たり前のように生きているけれど、きっと一番大事なことがそこに隠されている気がする。それを知りたいがために僕は作品を作っている」


ものづくりをしたい 18歳の転機

 自身の制作活動を「ものづくり」と呼ぶ岡田。彼が何かをつくるのは、感情が揺さぶられるような出会いがあったとき。自身の心と向き合うための手段が、岡田の場合は写真であった。始めからその手段を持っていたわけではない。画家である叔父の影響もあって、幼いころから「ものをつくる人間」への憧れを抱いてはいたが、芸術家の道へ踏み切る勇気はなかった。自分は周囲の人とどこか違う、そんな居心地の悪さを感じながら進学校で受験勉強を続け、「窮屈だった」と10代を振り返る。
 大学入試センター試験の当日、ついに無理を重ねることが嫌になった。「なにやってるんだろう、俺」。問題を解く手を止めた。次の日、誰もいない高校の教室で一人考える。やはり自分はものづくりがしたい。芸大に行こう。

 突然の決意。当然家族や高校の先生には反対された。「お前は馬鹿か、って」。芸大を目指すといっても、それまでは趣味で絵を描いていた程度。写真には興味がなく、「写真家もせいぜい“アラーキー”くらいしか知らなくて、むしろ『写真ってださい』くらいに思っていた」。絵画か、工芸か、「どの分野でもそこそこにはなれるとは思っていたけれど、一流になる才能がないこともわかっていた」。表現の手段を探していたある日、書店でたまたま写真家の作品集を手にする。そのとき、直感的に「写真家になる気がした」


「死」に惹きつけられ 感情のままに撮り続ける

 1年間の浪人の後、大阪芸術大学の写真学科に入学。そこで岡田は、ひたすら撮ってはプリントする日々を送る。ようやく得た自由に表現できる環境。しかしそれは親しい人から離れた一人きりの生活でもあった。そこで岡田は初めて、自分という存在の深い孤独を自覚する。その孤独感が、彼を「ものづくり」へと向かわせる。生きることへの恐怖と向き合いながら、初の作品集『Platibe』が制作された。

 そして在学中、思いがけない現実が岡田に衝撃を与える。「周りに何人か手首を切っている子がいて、テレビや映画の中の話だと思っていたからすごく驚いた」。身近な自傷行為者の存在。なぜ自らを傷つけるのか。疑問を抱き調べていくものの、当時は自傷行為の社会的認知度が低く、関連した本などはほとんどない。代わりに見つかったのは、インターネット上の膨大な「リストカット掲示板」だった。社会の隠された部分には、自分の命に関わる悩みを顔も名前も知らない人に打ち明ける世界が存在している。その現実を知ったとき、岡田は「社会が得体の知れない化け物になったような」激しい恐怖を感じた。その恐怖と向き合いながら制作されたのが、2番目の作品集『Cord』だ。ページには「死」を連想させる被写体――血のついたカミソリ、虫の死骸、薬のビン――そして時おり、「リストカット掲示板」からの引用。この『Cord』は、大学4年時、『Platibe』の富士フォトサロン新人賞受賞と同時に発表され、波紋を広げた。特に若い読者からの反響が多く、「自分を撮ってほしい」との連絡も寄せられるようになった。


真摯に生きる者たち 彼らの姿を撮りたい

 『Cord』を制作しながら、「死」への意識は次第に「生」へと向かう。「次は人を撮らなければ」――その思いが、3番目の作品集『I am』につながった。大阪芸大を卒業し、東京工芸大学の大学院在学中に制作されたこの作品で、岡田は「人を撮る」ことの難しさに直面した。彼が考える「人を撮ること」はただ会ってシャッターを押すことではない。相手と真に正面から向き合うことが必要で、そのためにはまず自分と向き合わなければならない。モデルとして集まった若者たちには、「撮られる」ことで何か変わりたい、変化のきっかけにしたい、という強い覚悟があった。その彼らと1対1で向き合った岡田は「油断するとこちらが飲み込まれてしまうような強いエネルギー」に圧倒される。苦しみながらも真摯に生きようとする者の強い眼差しが、撮影していないときも脳裏に焼き付いて離れない。「毎晩うなされて、どうしてこんなにつらいことをやっているんだろうと何度も思った」。

 しかし、自分を「ものづくり」に向かわせる「生」と「死」の現実がある。「そういう世界があることを知っているのに、そこから逃げて何かきれいなものをつくるのは薄っぺらいと感じた」。自分が表現活動をつづけていくうえで、一度は経験しなければいけない道ではないか。何よりも「生きる」という問いの答えに近づきたかった。「傷があるからとかではなく、彼らの生きることに必死な姿に惹かれて、撮りたいと思った」


社会の反応 それまで含め「作品」

 岡田が向き合った「生」のリアリティこそが、『I am』の主題。だが制作直後の日本では、「リストカット写真集」と呼ばれ、作品の一部でしかない自傷行為ばかりが興味本位に注目された。実際には、リストカットしていない「普通の」モデルもおり、顔と腕や身体は別々に撮られていて誰が自傷行為者なのかはわからない。「現実の社会でも、顔を見ただけではその差異なんてわからない。けれど世の中の多くの人は、リストカットをしている人は『おかしな人』だと括って事実から目を背けてしまう」。そして、「この反応こそが社会の問題をあらわしていて、そこまで含めて『I am』という作品だった」と語る。

 「自分はフォトジャーナリストではない」と言う岡田。『I am』で、真っ白な背景にただ人物だけを写したように、被写体のプライベートに踏み込んで問題の答えを探るようなことはしない。彼の写真は事実を見せるだけで、見てどう感じるかはその人次第なのだ。「始めから社会をどうにかしようと思って作品を作ることは嘘くさく感じる。自分が疑問を感じたり何か心を動かされてつくったものが、結果として社会を動かすものになればよい」。だが『I am』の本質を見ようとすらしない当時の社会。展示や出版の機会を得ること自体が困難だった。

 厳しい現実に直面するなかで、幸運にも岡田の活動を応援してくれる人との出会いもあった。ある新聞記者は、受賞前から岡田に注目し、何度記事がボツになってもずっと取材をつづけてくれた。「僕が腐りそうになったときに支えてもらえた。一人で自分を信じつづけることは難しい」。撮影から2年たって、『I am』を出そうという出版社も現れた。そして08年の受賞。社会もやっと、岡田が写す現実に目を向けるようになったのだ。


「生」のリアリティ追求し 新たなステップへ

 自分が今感じたことを、今つくり発表することに意味がある。これまで、そんな思いで作品をつくってきた。しかし、『I am』を出版したことで「ひと仕事やり終えた」と感じ、制作の姿勢が変化してきたという。

 そして、「生」に対して新たなアプローチを試みる。「今の日本は、生まれるのも死ぬのも病院の中で、現実感がない」。そう考えた岡田は、出産の現場に立ち会って写真を撮る経験をした。「人が生まれてくる瞬間を見たいと思った」。命がけで産む母親と産まれてくる赤ん坊。それはまさに「生」そのもの。「リアリティのある体験だった。壮絶だったけれども、とても美しい。どんな小説や映画よりも感動的で、人が生まれてくることに比べたら、自分がものをつくっていることなんてすごくちっぽけに思えた」。それでも、感情を震わす出会いがある限り、岡田が「ものづくり」をやめることはない。

 「確かなものに近づいている手ごたえはあるけれど、のぼるほど遠くに行く気もする」。気鋭の表現者の、「生」への果てなき問い。ファインダーをのぞきながら、彼はその答えを希求する。


プロフィール
岡田敦(おかだ・あつし)
79年、北海道稚内市生まれ。大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業。大学在学中の02年に、『Platibe』(窓社)で富士フォトサロン新人賞を受賞。08年東京工芸大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了、芸術学博士。大学院在学中に制作した『I am』(赤々舎)が08年33回木村伊兵衛写真賞受賞。国内のみならず、韓国やオランダなど海外でも注目される。
  1. 2009/03/19(木) 19:58:53|
  2. 写真集「I am」関連

■ 木村伊兵衛写真賞関連/選考委員の言葉

◇ 選考委員の言葉 東京會舘にて テレビ取材より


篠山紀信

Q:岡田さんの作品「I am」を受賞作に選んだ理由は?

 リストカットという事実が全面的に出てくるから、“時代の病理みたいなものを訴えたい”、“こういうことはしない方がいい”、“こういうことに同情する”といった、つまり、“作者は社会の出来事として、この問題を告発したいのだ”、“世の中に対して発言したいのだ”、とふつうは考えるけれど、あの写真は、そういったことを全然感じさせない写真なんですよ。白バックの中で、ただぼうっと立っているだけ。それは、“メッセージを持つ”ということよりも、もっと深い気持ち。写真にしかできない強い力が、僕なんかには伝わってきたんです。だから、白バックの中での、なんでもない少年、少女の非常に静かな顔が、“今の時代ってこういうことなんだな”、と強く感じさせる。時代が抱えている病理といえば病理なんですけれども、その問題の深さが、すごくストレートに写真によって伝わってくる。これは、なかなか評価すべきことなんじゃないかなと思います。

Q:傷を撮るということについては?

 実はあの写真集には、リストカットをしていない人もたくさん写っているんです。だから、そこの所が、あの作品の鍵ではあるんですが。ただ僕は、それは一つの写真という伝達手段の側面であって、もっと深い今の時代の病理みたいなものが、あの静かな写真からは出てきていると思うのです。僕はそこを評価したのです。

Q:今の時代に、受賞作にする意味あいは?

 みんな幸せそうにして、なんだか浮かれているけれども、やっぱりどこか病んでいるんじゃないですかね。そういう感じがすごくします。

Q:なぜそう思われますか?

 写真は時代の写し鏡ですから。それを見事にシンプルで、ストイックな感じに表してくれた表現に対して、評価をするのは当然じゃないですか。



都築響一

Q:授賞の理由は?

 結局ああいう作品を見てみんなが思うことは、どうやって素材を集めてきたかっていうことなんです。素材というか、この場合はリストカットをしている人たちなわけで、なおかつ写真に撮られてもいいよっていう人たちを集めて、それで9割成功だとみんな思っていると思うんです。でも、そうじゃないんです。本当に難しいのはそれからなんです。おそらく、リストカットをしている人たちを裸にして、白バックの前に立たせて写真を撮れば、一見同じような写真は撮れますけど、ああいう目は撮れない。撮っているとすぐわかるんです。片方だけにすごい力があっても駄目なんです。両方の勝負っていうのがあるので、どちらかだけがすごくても駄目なんです。岡田君の写真は、お互い口下手なもの同士が、レンズというものを通してわかり合えたという感じがすごくします。そうでなければああいった表情は、僕にはちょっと撮れない感じがした。たぶんみんな同じようなことを思っていたと思います。僕たちが撮ったら全然違う写真になってしまう。やはり岡田君の年齢があって、岡田君の風貌があって、それから心、精神があって、それで紡ぎだされるなにかがあるのだと思う。デジタルカメラの時代になって、“どれだけ良い機材を使っているのか”、“どれだけテクニックを持っているのか”といったことは、問題ではなくなってきている。今は、自分の中にあるものでしか勝負できなくなってしまっているんです。かつてのように、カメラの値段や経験に頼ることができなくなって、自分の中にあるもの以上のものを撮ることが、本当にできなくなってしまったんです。それまでは、テクニックさえあれば、もう少し自分以上のものを演出することができたのかもしれない。でも逆に、今はそれができないっていう難しい時代。そういう時代に、岡田君みたいな人間は、ああいった写真を撮っていくことから“逃げていない”っていう感じがします。

Q:傷口をまっすぐ見つめた写真だったが?

 それよりも、被写体の表情がすごい。こっちを見ているのか、見ていないのかわからないような目とか、にこやかなのか、死んでいるのかわからないような表情とか、ああいう不思議な感覚が…。たとえば、同じ世代の外国の若者と比べても、明らかに違う雰囲気を持っている。ああいった表情や雰囲気をうまくだせる力っていうのは、すごいなと思います。みんな傷跡に目がいくでしょうけど、何回か見直しているうちに、違うものが見えてくる。

Q;この時代に、この作品を選んだ理由は?

 ここ数年、カメラが簡単になってきた。すごく気楽に、自分の遊びの延長として、かるくエレキギターを弾いているような感じで。楽しくカメラを使って、楽しい雰囲気を作ろうというものが多かった。そういうものばかりに、メディアものってくる。そうではなくて、カメラでしかコミュニケーションできないこと、カメラでしか語りかけることができないこと、そういう世界を撮り続けている人がいるんだ、新しいトレンドではなく、ずっとずっとあったけれども、僕たち年上のメディアに関わる者が、こういう人物を積極的にだしてこなかった、ということなのではないかと思います。だから、こういう機会にそれが少しでもできて、今回は良かったと思います。
  1. 2008/12/30(火) 14:46:24|
  2. 写真集「I am」関連

■ 韓国写真雑誌『写真芸術』2008年11月号 特集

#岡田敦 #iam #木村伊兵衛写真賞

#岡田敦 #iam #木村伊兵衛写真賞

#岡田敦 #iam #木村伊兵衛写真賞

生への誘惑

오카다 아츠시(Okada Atsushi 岡田敦)
佐藤圭子/文

 1枚の写真に衝撃を受けることがある。それはあまりにもふいに私の前に現れた。

 日本には若手作家の登竜門とされるいくつかの写真公募がある。2002年、私はその中の1つである「富士フォトサロン新人賞(*1)」の展示会場に足を運んだ。その頃の様々な公募の受賞作品といえば、流行にのった<私写真>ばかり。その時の私はなんの期待も持たず、ただ東京有楽町に位置する富士フォトサロンに行ったのだった。
 会場に入るや否や、私はそこにある写真群に心を奪われた。そこには「生と死」が同時に存在しているような強いイメージたちと彼自作の詩、そして当時日本のマスコミに大きく取り上げられていた「神戸小学生殺害事件(*2)」を初めとした怪奇事件の記事が見事な構成力で展示されていた。そこに1人の若者が抱えるこの現代社会に存在することへの葛藤と生への執着、そして私自身が抱える葛藤と生への執着を見た。それが私になによりも大きな衝撃として迫って来たのだ。

 生と死を真正面から見つめる写真家岡田敦。今や同年代の作家から「巨匠」と呼ばれる彼は1979年、北海道の最北端にある町、稚内で生を受け、真っ白な雪と流氷、それに反射された美しい光の中で育った。画家である叔父の影響で幼い時から「表現への道」に進むもうと決めていた彼は、たまたま立ち寄った本屋でたくさん並べられた写真集を見て、写真への興味を抱いたと言う。1999年、大阪芸術大学に入学。カメラを持つ前から写真集の出版を明確な目的とし、写真を撮ってはその足がかりとなるようにと写真の公募に応募した。
 そして大学4年の時に入学当初に制作していた作品『Platibe』で、富士フォトサロン新人賞を見事受賞。完成度の高さと作家としての将来性が出版社に買われ、早くも「写真集を出す」という夢を叶えることになる。しかも展示していた作品『Platibe』に加え、会場に置かれていたリストカット(*3)を題材とした作品『Cord』の出版も決まった。これだけに留まらず、会場に来ていた巨匠細江英江から「うちの大学院に来ないか」と誘いの声が掛かり、東京工芸大学大学院への道も用意された。

 大学院の博士号習得中である2007年、彼の名が世間に広まることとなる。写真集『Cord』が基となり、それを見た若者達からの「被写体になりたい」という声から始まった作品『I am』が木村伊兵衛写真賞(*4)を受賞することとなる。
 この写真集はリストカットをしている若者、そうでない人を含めたポートレートやヌード、痛々しい傷跡の残る腕の写真などで構成された写真集だ。彼の写真はまるで「社会の現象は決して他人事ではなく、あなたの中にある問題でもある」と訴えかけているようである。
 現在彼は新しい写真集『STAR』の制作中だ。これは彼がスナップした物・人・風景で構成された写真集であるが、写し出されたイメージは、私たちを「生」へと誘惑する。
 私達は今、社会が生み出す価値や制約の中で生きている。生きていく上で大切なことはなにか…。岡田敦は私達と共に苦しみながらも写真という道具を使って生きる希望を与える<使命>を持った芸術家であることに間違いない。


*1 富士フォトサロン新人賞: 新時代の到来を予感させる若手写真家たちの登竜門として、1999年に富士フォトサロンと富士写真フイルム(株)プロフェッショナル写真部により新設された賞。

*2 神戸小学生殺人事件:1997年、行方不明であった小学生の頭部がとある中学校の校門前で発見された。犯人が当時中学生の男子だったことで世間を驚愕させた殺人事件。

*3 リストカット:カッターなどで、自己嫌悪などから自分の手首を切る行為を繰り返すこと。本当に死を望む人は少なく、自傷行為によって自分の存在価値を見いだす行為と言われている。

*4 木村伊兵衛写真賞: プロ・アマ・年齢を問わず、毎年1月から12月までに雑誌・写真集・写真展などに発表された作品を対象とし、写真の創作・発表活動において優れた成果をあげた新人に贈られる朝日新聞主催による写真の賞。
  1. 2008/11/04(火) 23:51:08|
  2. 写真集「I am」関連

■ 『北海道新聞』2008年09月15日

◇ 「北海道アートエリア21世紀」

「自傷行為にみる生への希求」

 目を閉じ、少しうつむいて自らの肩を抱く女性。あどけなさやほっそりした体のためか、少女か少年にも見える。

 一目見てひかれるのはこうした若々しさや、静かに自らをいとおしむような姿であろう。それから細部に目を凝らすと、右腕にいくつもの切り傷の跡があることに気付く。リストカット(自傷行為)による傷である。

 この作品は現代の若者たちをモデルにした岡田敦の写真集「Iam」に掲載の一点。他の写真も真っ白な背景に、顔または裸の身体を文字通り正面からとらえている。

 自傷行為は、傷みを通して生きていることを認識するものともいう。しかし、生の強烈な意志は誰でも変わりがない。写真集のなかで傷のある者とない者を混在させたのは、写す側と写される側でこうした思いが共有されているからか。そしてそうした生への希求はページを繰るほどに、熱く大きなうねりとなって伝わってくる。

 岡田敦は1979年稚内生まれ。本写真集で今年の木村伊兵衛写真賞を受賞した新進気鋭の写真家である。

(なかむら・せいじ=道立旭川美術館学芸課長)
  1. 2008/09/16(火) 20:16:20|
  2. 写真集「I am」関連

■『朝日新聞』2008年06月27日

#岡田敦 #iam #木村伊兵衛写真賞

 リストカットをした無数の切り傷が走る手首。裸の体。あるいは顔。どれも、いまの私……。10~20代の女性たちの姿を真正面から静かにとらえた岡田敦さん(28)の写真集『I am』(赤々(あかあか)舎)がこの春、第33回木村伊兵衛写真賞を受賞した。なぜ彼女たちは生身の姿をカメラの前にさらしたのか。


岡田さん 答えの出ない「生きる意味」問い続け


 05年2月上旬、東京都中野区にある東京工芸大学内のスタジオ。全裸の女性(20)のスリムな体は、少年のようだ。ライトを浴びながら、両腕の包帯をゆっくりほどく。「昨日も切っちゃって」。はにかみながら一番下のガーゼを取ると、透きとおるような白い肌に無数の傷が現れた。

 「じゃあ、始めます」と岡田さん。それから4時間、CDラジカセから人気女性ボーカルの歌声がかすかに流れるなか、シャッター音だけが響いた。終了後、モデルは大粒の涙と「ありがとう」の言葉を残し、東北行きの夜行バスが待つ新宿駅へ向かった。


20歳女性、自ら被写体に 「何かが変われば」


 受賞作『I am』の撮影協力者約50人は10~20代の女性で、半数以上が自傷行為経験者だ。顔と体は別々のページに掲載し、誰が切っているのかはわからない。

 岡田さんはモデルとほとんど会話しなかった。「僕はカウンセラーではないので。ありのままを受け入れる姿勢でカメラを構えたのは、風景を写すのと一緒でした」

 モデルたちは、03年発売の写真集『Cord』(窓社)を見て、メールを送った人が多い。この本の被写体は、自傷行為をイメージさせる物だった。血がついたカミソリ、羽のちぎれたチョウの死骸(しがい)、大量の向精神薬などが真っ白な背景に浮かび上がる。息をのむような作品集だが、若い読者から反響が次々届いた。〈安全ピンの写真を見た途端、無意識に泣いていた〉〈恐怖と同時に優しさも感じ、助けられている〉

 岡田さんは大阪芸大1年生のとき、故郷の友人が自ら命を絶ち、自分も心のバランスを崩したことがあった。そのころパソコン上にある膨大な自傷系サイトを知る。〈今から切ります〉〈死にたい〉という重大なメッセージが、見えない世界に発信され続けている。「彼らの目に映る世界は、大人たちと違う。それを再現して、心に届くものを作ろうと思った」

 次は人間を撮らなければと思っていた岡田さんは、『Cord』の反響の「私を撮って」という一文に背中を押され、被写体を募り始めた。

 熊本県の主婦(26)は当時、専門学校生。偶然書店で本を手にした。「一晩に1ページずつしか読み進めないほどつらかった。でも『自傷する自分から目を背けるな』と言われている気がした」。教育熱心な親にいつも否定されている気がしていた。岡田さんとメールで短いやりとりをして、撮影を承諾。撮影後、母親に初めて打ち明けた。「リストカットしている」。母親は大泣きした。

 リスカする自分をもうやめたかったけれどやめられないでいた。それが止まった。「あれで何かが吹っ切れた」とふり返る。

 千葉県のフリーター山本純子さん(20)も作風の純粋さに胸を打たれた。自傷を始めて1年。学校でいじめられ、卒業後も職場の人間関係に悩んでいたが、1人で家計を支える母には言えずにいた。いらつくと、夜、腕を切ってしまう。「切ると落ち着いた」。「撮られることで何かが変われば」と協力を申し出た。

 わかってくれる人がいる――そんな反応と対照的に、業界関係者は冷ややかだった。撮影は05年春に終わったが、出版のめども立たなかった。フィルムを眺める日々……。モデルと目が合うと「生きる理由を教えてほしいと真摯(しんし)に訴えるエネルギーに圧倒された」と岡田さん。

 どうしても発表したいと送った写真が06年春、独立したての赤々舎の姫野希美(のぞみ)社長(41)の手に渡る。「人間そのものにここまで真剣に向き合った作品に驚き、出版を決めました」。装丁したデザイナー町口景(ひかり)さん(32)は「最初は正直引いた」という。「でも、社会に必死に問いかけようとしている姿に、同世代として俺(おれ)もやるぞ、と本気になった」

 モデルになった山本さんはそのころも、不安定で食が細っていた。「出版を楽しみに、心の支えにして乗り切れた」。『I am』の作品は、受賞後、5月まで、新宿のセレクトショップ「ビームスジャパン」のショーウインドーに飾られた。山本さんはいま「リストカットという行為を世に出せたこと、作品に参加できたことを幸せに思う」と話す。

 ただ、岡田さんは、「僕が伝えたかったのはリストカットではない。今の若者はそういう時代に生きているということ」という。「人はそこに存在するだけで美しくすばらしいことは、闇を直視しなければわからないんです」

 秋に出す次の作品集の被写体は、妊婦や故郷の風景、花……。「これからも、答えの出ない『生きる意味』に少しでも近づきたい」


(高橋美佐子)
  1. 2008/06/26(木) 15:31:06|
  2. 写真集「I am」関連

■ BOOK REVIEW / I am

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#岡田敦 #iam #木村伊兵衛写真賞
(C)Atsushi Okada

Official H.P:www.akaaka.com/(赤々舎)
text by subaru matsukura


問い。キズ。生きる。生きない。

レビューを執筆する際、私は本を手に取り、1度、2度、じっくりとページをめくる。
だいたいは1週間ほど読み繰り返して、一気に1時間ほどで書き上げる。
ただこの1冊に込められた意味は、私の筆を硬直させた。

「生きること」その意味を問いかける彼女や彼らの眼差しは、
ぞっとするぐらいに澄んでいて私の心に突き刺さる。
「死」を覗き込むことで感じる「生きる」ということ。
自分自身の存在を証明するように自らの体に自分という存在を切り刻む。
見つめる瞳、瞳、瞳。刻まれる傷、傷、傷。

彼女たちは目をそらさない、フィンダーからも現実からも。
生きることからの逃亡のように傷つけるのではなく、
自分がここで「生きている」という叫びのようだ。

この1冊を私の持ちうる言葉を介して伝えることの難しさ。
言葉の無力さ、そして、人という存在、生きるということの強さ、そして複雑さを痛感する。

存在、生命、終焉、誕生。
拡大解釈して私たちは同じようなサイクルを様々な決まり事にのっとり日々を重ねていく。
あまりに同じような日常に、我を、日常を、自分自身を見失うことがある。
今、胸元で脈打つ心臓の鼓動を疑うことがある。

同じ車両の携帯電話をたたきつづけるサラリーマンや女子高生も
夜の町で働く水商売の人間も退屈な授業に頬杖をついて眺める学生も
いつしか必ず、個々が重ねる人生の一幕で眼前に提示されるはず
生きることとは何か。死ぬこととは何か。そして自分という存在は何なのか。

それは若かりし青春の愚問。持て余す時間から生まれる終わりのない問答。
そうやって心の奥底の隙間に隠した事実。
本作の被写体として登場する若者たちの目が、傷が、存在が、今、このように筆をとる私に比べ、果てしなく「生きている」ことを感じているようだ。
おそらく、あのとき私が心に隠した疑問は、本来の意味での「生きる」ことの放棄だった。そう思わざるを得ない。
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彼らの傷を見つめ、視線を受け止め、私の魂が背中からわしづかみに引きはがされ
揺さぶられ、問われる。本当にそれが生きるということですか?
純粋無垢な質問を投げかけられた私は、無論、「生きるふり」を決め込んでいたから、焦点もあわず、彼らの視線から目をそらす。
そらした私の目線がとらえるものは、「生きる」ことと正反対に存在する「死ぬこと」そのものだった。
そう私たちは「生きる」こととの対峙をいつごろからか諦めていた。
実はそれが人間が人生を全うする上で最重要課題だとも気付かずに、目をそらし続けてきた人生が、ここにある。

彼らの視線は、「死」へ向かう行為のリストカットという問題ではなく
「生」への飽くなき疑問、問答のようで真理が潜んでいる。
その傷の先に彼らのあくなき存在証明への滑走がある。葛藤がある。
彼らは生きている。おそらく遥か昔、いや数十年前までが彼らのような力強く生きている人間の眼差しを私たちは持っていたのだろう。

いつ頃からか私たちは、それを避け、ひた隠し、ごまかし、見てみないふりをして、この心臓の鼓動に鈍化していく。まるで人形のようにその存在は空っぽで決して目には見えない社会やルールの空気に踊らされ動かされ、そして麻痺していく。そして壊れていく。

最初に本書を開いた時、私はその傷から目をそらしてしまった。
ただ彼女たちの眼差しと目が合うたびに何度も何度も自問自答した。
それは私の存在の源流へと逆らう精神の旅路でいて、ひどく深く自分が生きていることを体感させられる体験。

遅すぎるかもしれない「生きること」への旅路。「生きること」への思考。
その一歩を歩ませたのは、まぎれもなく彼女たちの強い視線だ。
まるで道しるべのような眼差し。
強く清く生きることへの道が、あなたにも見えるだろうか。
もし見えたのならば、それは間違いなくあなたの道だろう。



書名:岡田敦写真集 I am
著者:岡田敦
アートディレクション|町口景(マッチアンドカンパニー)
言語:Japanese

発売:July 2008
価格:2,940 円 (本体2,800 円 +税)
243×210mm|88頁|並製
ISBNコード 978-4-903545-14-1 (4-903545-14-8)
  1. 2008/06/22(日) 12:28:59|
  2. 写真集「I am」関連

■『Photo GRAPHICA』vol.11(6月1日発行)

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第33回木村伊兵衛写真賞受賞作品 岡田敦『I am』

2007年は、写真集が意欲的に出版された年だった。数多くの候補作が乱立する中で、第33回木村伊兵衛写真賞を受賞したのは20代の若きふたりの写真家、志賀理江子と岡田敦だった。欧州で写真表現を徹底的に学んだ志賀が人間の個に潜む濃密な生を“光画”で表現したのに対し、日本で写真を学んだ岡田は同時代に生きる若者のあるがままの姿を風景のように描写した。岡田敦に伊兵衛賞受賞作、『I am』について聞いた。


風景写真のように撮った いまを生きる若者のポートレート


― まず『I am』を制作したきっかけを教えてください。

岡田敦(以下、岡田) 2003年に『Cord』という写真集を出版したのですが、その読者から「私を撮ってほしい」というメールをいただいたことが、『I am』を撮るきっかけでした。

― 『Cord』でもそうでしたが、『I am』では特にリストカットの写真がクローズアップされています。『I am』は、自傷行為された方からの要望(メールでの依頼)を受けて撮ることに決めたのですか。

岡田 メールをもらった人たちはあくまで読者であって、リストカットをしている人ばかりを集めて『I am』を撮ったわけではないのです。『I am』はメディアでは「リストカット写真集」という見方が先行していますけれども、切っていない人も多く写っていますし、今を生きる若者を撮っていたらこう いう形になったというのが正確なところです。

― 『I am』の被写体となった若い人たちは、希望者というかたちで自然に集まってきたのでしょうか。

岡田 半分はメールで応募してきた人たちで、残りの半分は自分のWebページで募集しました。特にリストカットに関する条件は入れませんでした。写真集を編集するときはリストカットの経験がある人と、そうでない人の写真をランダムにレイアウトしました。実際はだれがリストカットをしているかということはあまり重要ではないですし、その差がわからないことがいまの日本を象徴しているのではないでしょか。

― 『I am』=リストカット写真集、というマスコミや評論家の評価について、岡田さんはどのように感じていらっしゃいますか。

岡田 いまの時代を考えると、そういった取り上げられ方をするのがはじめからわかっていたので、それに対してなにかを思うことはありません。ただ、あと5年も経てば周囲の見方も変わっていくだろうなとは思っています。

― 若い女性のヌードやポートレートを、岡田さんは繊細に美しく撮っていらっしゃいますが、撮影の時に何か意識していることなどはありますか。

岡田 撮影は白バックとストロボで、シンプルに撮っています。無駄な情報は極力いらないと思ったのです。従来のドキュメンタリータッチによる写真の提示は、もう古いと思っていました。いまの若い人は説教くさいことには反応しないし、いまの時代に合った提示の仕方で、なおかつ普遍的なものをつくろうと考えたとき、僕が偏った色をつけることなくシンプルに表現するのがよいと思ったのです。カメラの前に裸の女性が立てば、女性の身体のラインは普通にきれいだなと思いますし、また傷を見てきれいだと思ってはいけないと僕らは道徳的に教育されてきたけれど、実際に生身の人間と対峙してその存在に目を向けてみると、きれいだなと思う自分もいるんですよね。

― 『I am』を見ていると、若い女性のポートレートというよりは風景写真のように思えてきます。

岡田 そうですね。『I am』に関しては、僕がすべてを受け入れるというスタンスで撮っていたので、風景を撮るときの感覚に近いのかもしれません。風景は自分がどうこうして動かせるものではないですし、自分が受け手になるしかないのです。

― 最後になってしまいましたが、木村伊兵衛写真賞受賞おめでとうございます。率直に受賞について、どういう感想を持たれましたか。

岡田 何かの写真賞をもらうということは、まったく気にしていませんでした。写真界では僕の作品はいままで、なかなか発表できる機会がなかったですし、実際に違うジャンルに活路を求めようとも思っていましたから。でも、最後に写真界が評価してくれたことは、正直うれしいことではありますね。


岡田敦(おかだ・あつし)
1979年、北海道生まれ。大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業。2002年、富士フォトサロン新人賞を受賞。2003年、写真集『Platibe』『Cord』(窓社)を出版。2005年、写真歌集『紙ピアノ』出版(歌人・伊津野重美との共著、風媒社)。2007年、写真集『I am』(赤々舎)を出版。2008年、東京工芸大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了、博士号取得(芸術学)。同年、第33回木村伊兵衛写真賞受賞。

  1. 2008/05/16(金) 00:00:03|
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