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写真家 岡田敦 - Office Okada | Official Blog

I kiss the world by taking the photograph

■『Photo GRAPHICA』vol.11(6月1日発行)

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第33回木村伊兵衛写真賞受賞作品 岡田敦『I am』

2007年は、写真集が意欲的に出版された年だった。数多くの候補作が乱立する中で、第33回木村伊兵衛写真賞を受賞したのは20代の若きふたりの写真家、志賀理江子と岡田敦だった。欧州で写真表現を徹底的に学んだ志賀が人間の個に潜む濃密な生を“光画”で表現したのに対し、日本で写真を学んだ岡田は同時代に生きる若者のあるがままの姿を風景のように描写した。岡田敦に伊兵衛賞受賞作、『I am』について聞いた。


風景写真のように撮った いまを生きる若者のポートレート


― まず『I am』を制作したきっかけを教えてください。

岡田敦(以下、岡田) 2003年に『Cord』という写真集を出版したのですが、その読者から「私を撮ってほしい」というメールをいただいたことが、『I am』を撮るきっかけでした。

― 『Cord』でもそうでしたが、『I am』では特にリストカットの写真がクローズアップされています。『I am』は、自傷行為された方からの要望(メールでの依頼)を受けて撮ることに決めたのですか。

岡田 メールをもらった人たちはあくまで読者であって、リストカットをしている人ばかりを集めて『I am』を撮ったわけではないのです。『I am』はメディアでは「リストカット写真集」という見方が先行していますけれども、切っていない人も多く写っていますし、今を生きる若者を撮っていたらこう いう形になったというのが正確なところです。

― 『I am』の被写体となった若い人たちは、希望者というかたちで自然に集まってきたのでしょうか。

岡田 半分はメールで応募してきた人たちで、残りの半分は自分のWebページで募集しました。特にリストカットに関する条件は入れませんでした。写真集を編集するときはリストカットの経験がある人と、そうでない人の写真をランダムにレイアウトしました。実際はだれがリストカットをしているかということはあまり重要ではないですし、その差がわからないことがいまの日本を象徴しているのではないでしょか。

― 『I am』=リストカット写真集、というマスコミや評論家の評価について、岡田さんはどのように感じていらっしゃいますか。

岡田 いまの時代を考えると、そういった取り上げられ方をするのがはじめからわかっていたので、それに対してなにかを思うことはありません。ただ、あと5年も経てば周囲の見方も変わっていくだろうなとは思っています。

― 若い女性のヌードやポートレートを、岡田さんは繊細に美しく撮っていらっしゃいますが、撮影の時に何か意識していることなどはありますか。

岡田 撮影は白バックとストロボで、シンプルに撮っています。無駄な情報は極力いらないと思ったのです。従来のドキュメンタリータッチによる写真の提示は、もう古いと思っていました。いまの若い人は説教くさいことには反応しないし、いまの時代に合った提示の仕方で、なおかつ普遍的なものをつくろうと考えたとき、僕が偏った色をつけることなくシンプルに表現するのがよいと思ったのです。カメラの前に裸の女性が立てば、女性の身体のラインは普通にきれいだなと思いますし、また傷を見てきれいだと思ってはいけないと僕らは道徳的に教育されてきたけれど、実際に生身の人間と対峙してその存在に目を向けてみると、きれいだなと思う自分もいるんですよね。

― 『I am』を見ていると、若い女性のポートレートというよりは風景写真のように思えてきます。

岡田 そうですね。『I am』に関しては、僕がすべてを受け入れるというスタンスで撮っていたので、風景を撮るときの感覚に近いのかもしれません。風景は自分がどうこうして動かせるものではないですし、自分が受け手になるしかないのです。

― 最後になってしまいましたが、木村伊兵衛写真賞受賞おめでとうございます。率直に受賞について、どういう感想を持たれましたか。

岡田 何かの写真賞をもらうということは、まったく気にしていませんでした。写真界では僕の作品はいままで、なかなか発表できる機会がなかったですし、実際に違うジャンルに活路を求めようとも思っていましたから。でも、最後に写真界が評価してくれたことは、正直うれしいことではありますね。


岡田敦(おかだ・あつし)
1979年、北海道生まれ。大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業。2002年、富士フォトサロン新人賞を受賞。2003年、写真集『Platibe』『Cord』(窓社)を出版。2005年、写真歌集『紙ピアノ』出版(歌人・伊津野重美との共著、風媒社)。2007年、写真集『I am』(赤々舎)を出版。2008年、東京工芸大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了、博士号取得(芸術学)。同年、第33回木村伊兵衛写真賞受賞。

  1. 2008/05/16(金) 00:00:03|
  2. 写真集「I am」関連

■『pen』5月1日号(4月15日発売)

#岡田敦 #iam #木村伊兵衛写真賞
粋 ヌーヴォー 025

心の闇を掬い取るように描く、木村伊兵衛写真賞受賞の28歳。


「いまでないと撮れないテーマ、日常的だけれど、重要な意味をもっている社会性の強いものをどうしても撮ってみたかったんです。それも、20代のうちに作りたかった」

28歳の岡田敦さんは、自分の中でずっとそう思い続けてきたというが、それを30歳目前の時期に、見事に達成している。つい先頃、第33回木村伊兵衛写真賞に、彼の5冊目の写真集、『I am』(赤々舎)が選ばれたのだ。

今年同賞を受賞したのはふたりで、もうひとりの志賀理江子さんは、『Lilly』(アートビートパブリッシャーズ)と『CANARY』(赤々舎)という写真集だった。

「別段、リストカットというテーマを追った訳ではなく、いまの日本の断面といったものを、撮りたかったんです」

『I am』には、自らを傷つけた痛々しい傷跡のある腕の写真や、その女性たちのポートレートが並んでいて、テクノロジーが普及する一方で、取り残されていく日本の若者の心の闇の部分を、掬い取るように、描き出している。

「リストカットは重いテーマだし、僕はまだ若すぎるかもしれない。けれど被写体になってくれた人たちが同年代なので、コミュニケーションがとれたのだと思う」

どちらかというと低く静かな声で、岡田さんはそう説明してくれた。

なぜ写真の道に入ったのだろう。

「僕は北海道の出身ですが、叔父が画家で、僕にとってアートはそんなに遠くにあるものではなかった。それでも大学に入るときは、叔父と同じものよりは、なにか別の新しいものをやってみたいと思うようになっていました。僕がはたちの頃は、Hiromixや蜷川実花さんといった人が人気だった。でも僕はそれとはまったく異なるものにリアリティを感じていたんです」

普段はどんなライフスタイルなのか聞いてみると、押し花やドライフラワーを作るのが好きだという。それもやはり写真のためで、今秋にはそうした花や風景の写真集を出版するそうだ。

「故郷の北海道に戻って、風景を撮りたいと思っています」

次々と、新しいテーマが生まれてきているようだ。

11月にはフランスで開かれる展覧会に参加する予定で、ほぼ同時期に韓国でも写真展の企画があるという岡田さん。活躍の場は、これから海外にも飛び火しそうだ。


村上香住子(Kasumiko Murakami)
元『フィガロジャポン』パリ支局長。2005年パリより帰国。在パリ20年間を綴った『のんしゃらん』を刊行。近著は『パリ猫銀次、東京へいく』(アノニマ・スタジオ)、『巴里ノート』(文藝春秋)。

http://pen.hankyu-com.co.jp/index.html
  1. 2008/05/15(木) 00:00:03|
  2. 写真集「I am」関連

■『CAPA』5月号

Focus on People

これは今を生きる人たちのポートレート。そこにリストカットという現実があった。

“子どものころから型を破るのが好きだった”

黒い服に身を包み、待ち合わせ場所に現れた。風貌は、木村伊兵衛写真賞の受賞者決定を知らせる記事の写真と同じだったが、一見しただけの印象などあてにならないことがすぐにわかった。言葉を選びながら、岡田敦さんは柔らかな表情を浮かべて、写真のこと、『I am』のことを語ってくれた。

「写真を始めたのは大阪芸術大学に入ってからです。絵描きをしている叔父の影響か、自分もものを作る職業に就きたいと思っていました。絵も描いていましたが、知らない世界に行きたいなと思い、写真学科を選びました」

それまでカメラを持ったことも撮ったこともなかったそうだが、大学1年のときに作った作品で、岡田さんは富士フォトサロン新人賞を受賞した。現代の子どもたちの一面をとらえた『Platibe』という作品だ。以来、『Cord』や『リストカット』(共に窓社)、『紙ピアノ』(共著、風媒社)、そして今回の『I am』と本を編んでいく中で、ジャーナリスティックな作品を撮る写真家として知られていった。

「今まで発表してきたのが社会的要素が強かったのでそういうイメージがついていますが、ほかにも撮っているんです。きれいな花のシリーズとか。でも花とか幸せなものって普遍的要素が強いので、すぐに発表しなくてもいいかなと思って、『I am』のように今発表すべきものを選んでいったら、結果的にこういう本ばかりになっただけです。ただ、いろいろ撮っていますが、どの作品にもどこか哀しい部分が写っている。それは共通していますね」

岡田さんは「生きているものにしか興味がない」という。画家のエゴン・シーレが好きなのは、生きている感じが、鼓動がちゃんとわかるからだと。

「リアリティのあるものに常に惹かれています。そして型を破るのも好き。子どものころから、今も求めています」

“ジャーナリストではなくアーティストとして”

受賞作『I am』は、岡田さんと同年代の若者を写した作品集だ。被写体は大半を女性が占め、リストカットを繰り返す人の姿もとらえられている。

「これは今の時代を生きている人たちのポートレートです。その中にリストカットをする人もいたというだけで。だから、同情とか結論的なものを導くつもりはありません。むしろ何もなくていいという気がする。彼女たちの生活を追うことこそ正義とか真実とか思われがちですが、僕は違うんじゃないかなと思って、あえてスタジオで撮影しました。目の前の人だけでいいと。僕はジャーナリストではないので、アーティストとしてどういう表現をしようかと考えた結果、こういう撮り方になりました。自由に、見た人それぞれに答えがあっていいと思っています」

モデルの彼女たちとは、これまで発表してきた著書を通じて知り合った。岡田さんが開設しているホームページを介して「撮ってほしい」というメールが読者から送られてくる。

「メールでは撮影場所と時間を決めるだけで、深い話はしません。当日初めて会って、すぐに撮影する。彼女たちに僕の立場をはっきりと示しておかなければいけないと思うので、僕はカウンセラーではなく写真家だと事前にきちんと伝えています。作品に対する彼女たちの反応としては、撮影した時点よりもプラスの方向に進んでいる人は喜んでくれていますが、そこで立ち止まったままの人は自分を見つめるのを怖れて、なかなか本を開いて見られなかったりするようです。僕は彼女たちを撮影したという事実を背負って生きていくのだと思います」

秋には『STAR』という写真集を出版するという岡田さん。「タイトルの意味は?」と問うと、照れたように、しかししっかりと答えた。

「本が出たときにわかります」

http://www.capacamera.net/capa/
  1. 2008/05/15(木) 00:00:02|
  2. 写真集「I am」関連

■『しんぶん赤旗』2008年04月11日

#岡田敦 #iam #木村伊兵衛写真賞

第33回木村伊兵衛写真賞を受賞した 岡田 敦さん

みずみずしい裸身。鋭い視線を投げる若い女性。そして、自ら傷つけた手首や腕。

写真集『I am』(赤々舎)を発表し、話題を呼びました。リストカットをする若者たちも登場したからです。

「彼女たちが特殊だ、という概念を壊したかった」。受賞した写真集の、どこをめくっても、「特殊な若者」は写っていません。そこに居るのは、ごく、普通の若者。

表紙に鏡のような素材を使い、手に取った人の顔が写ります。あなたと被写体との間に「違い」があるだろうか、と、問いかけるよう。

「リストカットの写真集」と言われることには抵抗があります。「今を生きる若者の、ありのままを撮っただけ」

題材の衝撃さゆえに発表は難航。展示するギャラリー探しも苦労しました。あきらめなかったのは、「いずれ社会が、この問題を無視できなくなる」という直感から。

写真家への道を歩み出す転機は、大学入試。センター試験の最中、「問題を解くことが、すごく無意味に感じて」、回答する手をとめました。

「自分が何をやりたいか」ではなく、偏差値などの「数値」に合わせて生き方を決める。そんな教育システムに疑問を感じていました。「ものをつくることを職業に。写真家になろう」と決めました。

カメラは「触覚」であり、「五感がひとつ増える」こと。「カメラを持っているからこそ感じる、現実やリアリティーがある」

生まれ育ったのは北海道。ゆっくりと時間が流れます。

「作品作りはたたかい。東京は、たたかう場所です」

文・写真 平井 真帆
  1. 2008/05/15(木) 00:00:01|
  2. 写真集「I am」関連

■『北海道新聞』2008年04月06日日曜日

◇ 「ひと」欄

第33回木村伊兵衛写真賞に決まった 岡田敦さん

若者の現実 目そむけず

「若者たちの、ありのままの現実を撮っただけ」。賞の対象となった三作目の写真集「I am」(赤々舎)は、自らの腕を刃物で切りつけた「リストカット」の傷の数々が、ポートレイトやヌードとともに生々しく収録されている。

大阪芸大在学中の七年前、道内の友人や大学の同級生ら複数の知人が腕を切っていたと知り、ショックを受けた。「聞くと自分の『生』を確認したいのだという。問題は見えにくいが、目をそむけることはできない」

自傷行為を扱うインターネットサイトを撮った「Cord」を五年前に発表している。今回は自分のホームページでモデルを募集した。「リストカットした人を」呼び掛けたわけではないのに、十―二十代の自傷経験者が応募してくれた。「撮影では身の上話ことしなかったが、言いたくても口にできない何かを伝えたかったのだと感じた。作品の中に直接の答えはないが、多くの人が考えるきっかけになれば」

稚内生まれ。小中高を札幌で過ごした。絵や粘土細工が好きで、美術への関心は深かった。札幌北陵高時代に書店で写真集を立ち読みし「どうせなら芸術の中でも知らない世界で」と写真学科のある大学に進んだ。

離れて約十年。北海道の風景が最近、無性に恋しいという。広い空、広い大地。「当たり前と思っていた景色に、命の気配を感じる。そのことが伝わる作品を、次は出したい」。東京都在住。二十八歳。

(大口弘明)
  1. 2008/05/15(木) 00:00:00|
  2. 写真集「I am」関連

■ NHK『ニュースウオッチ9』2008年05月06日火曜日

◇NHK総合『ニュースウオッチ9』
2008年05月06日火曜日 21:00~22:00

  1. 2008/05/06(火) 12:00:00|
  2. 写真集「I am」関連

■『日本経済新聞』2008年04月28日月曜日

◇ 正面から見すえる生

若手写真家、強烈なる存在感
 肉体や生のありようを正面から見つめようとする若手写真家の作品に注目が集まっている。生きる実感が希薄になった時代のアンチテーゼとして、強烈な存在感を放つ。
 女性がじっとこちらを見つめている。あらゆる感情を超越したような静かな目。彼女を正面から見すえることで、その瞳に映り込んだ写真家自身の「彼女が今、確かに生きていることを写真に表したい」との思いまでもが強く立ち現れてくる。
 撮影したのは一九七九年生まれの岡田敦。若者五十人をモデルにして、写真集「I am」(赤々舎)を発表した。リストカットの跡をとらえた作品が注目を集めたが、それはあくまでも一部。全国から公募で集まったごく普通の若者が時に一糸まとわぬ生身の体を見せ、岡田はそれを実直なまでに写真に収めている。

被写体と「勝負」
 「今の若い人の写真を撮っていたら、なるべくしてなった」(岡田)という同写真集は、写真界の芥川賞ともいわれる二〇〇七年度の木村伊兵衛写真賞を受賞した。
 「人の心の闇を写し撮ろうと思っているのではなく、むしろ光を感じているから撮り続けている」。二十一日に東京都内で開かれた授賞式のスピーチで、岡田は語った。選考委員の篠山紀信は「相手と同じ目線でぶつかっているところがすごい」と評価する。
 九〇年代後半、主に若い女性が身近な風景や知人を撮る「ガーリーフォト」がブームになった。鉱山や工場を被写体にした畠山直哉の「LIME WORKS」、無人の東京の風景を撮った中野正貴の「TOKYO NOBODY」など、無機質な情景の追求も大きな流れをなす。岡田の作品への評価は、こうした最近の潮流と方向性を異にした「生身の体とガチンコ勝負する若手の動きを改めて見直そうという意識のあらわれ」。木村賞選考委員の都築響一はそう指摘する。

(文化部 郷原信之)
  1. 2008/04/29(火) 01:10:42|
  2. 写真集「I am」関連

■ PUBLICITY MAGAZINE

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◇第33回木村伊兵衛写真賞授賞式
■ 受賞の言葉 2008年4月21日 東京會舘

 写真を撮り始めてから9年が経つ。私は写真を撮ることによって、これまで多くのものを得、多くのものを失い、多くのものを奪い取ってきた。

 作家のやっていることは、なんの根拠もない自分の「直感」を、ただ信じ続けようとしているのに過ぎないのかも知れないが、私は写真を撮り続けることによって、その罪を重ね、その罪を償おうとしているのかも知れない。そして、作品を作り続けることでしか、私は、私の求めている答えに辿り着くことが出来ないのだと思っている。

 しかし私は、写真を撮ることによって、人間の心の「闇」を写し撮ろうとは思ってはいない。むしろそこに「光」を感じているからこそ、これまで写真を撮り続けてきたのだと思う。それは、「闇」を見ることの出来ない人間に、「光」を表現することなど、決して出来ないと思っているからである。

  1. 2008/04/29(火) 01:10:00|
  2. 写真集「I am」関連

■ PUBLICITY MAGAZINE

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◇『アサヒカメラ』5月号(4月20日発売)
第33回木村伊兵衛写真賞・グラビア掲載『I am』・撮影ノート(P330)
http://publications.asahi.com/index.shtml

撮影ノート「I am」岡田敦

 「I am」の撮影を終えてから3年以上がたつ。私のなかでは、ずいぶんと昔のことのように感じている。当時、写真界にはこの作品の発表の場がなく、写真展や雑誌での掲載も難しかった。最初に「I am」を取り上げてくれたのは、日本ではなく韓国の写真雑誌だった。時代が変わったのか、木村伊兵衛写真賞を受賞することになった。この作品が「作品」として雑誌に掲載されるのは、国内では今回が初めてのことだ。
 作品に時代が追いついたのか。時代に作品が追いついたのか。どちらにしても好ましいことではない。「喜びの言葉は?」という問いかけに、正直私は言葉に詰った。ただひとつだけ言えるのは、この作品は、“リストカット作品”ではないということだ。問題の見えにくさは、今の日本を表している。
 撮影を終えてから数年がたち、私も現実もすでに次の場所へと向かっている。
  1. 2008/04/29(火) 01:09:59|
  2. 写真集「I am」関連

■ PUBLICITY MAGAZINE

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◇『アサヒカメラ』4月号(3月20日発売)
第33回木村伊兵衛写真賞発表・受賞の言葉・選考委員選評掲載
http://publications.asahi.com/index.shtml

■ 受賞の言葉

 死を克服したいという欲求と、生の根源に近づきたいという欲求が、わたしの中で常に複雑に絡み合っている。

 わたしにとって表現活動とは、生身の現実と向き合い、深く掘り下げてゆく作業のように思う。そして、決して開けてはいけない扉と出会い、その恐怖に押し潰されそうになった時、わたしはその扉の向こう側にこそ確かなものが存在しているのではないかと感じる。

 わたしは写真を撮ることによって、目の前に拡がる不確かなものの中に、わずかながらの確かさを見いだそうとしているのかも知れない。

2008年2月27日 岡田 敦


■ 選考を終えて -『アサヒカメラ』2008年4月号記事より抜粋

・篠山紀信

志賀理江子さんの作品のなんと魅惑的なことか。黄泉の国と現世の狭間を自由に行き来しながら、不思議な浮遊感で見る者を幻惑する。
いったいどうすればこんな作品が生まれるのだろうか。ロンドンの団地に住む住人全員を暗幕の前に立たせて撮影したり(Lilly)、仙台やメルボルンに住む人々に質問状を出し、その答えの場所を実際に訪れ思索し作品化する(CANARY)。
とにかく信じられないような時間とパワーを労して、現実を写真化していく。一昔前にあったガーリー写真とは対極に、女性のみが持つ怪力を駆使した腕力写真に見える。

岡田敦さんの作品にも志賀さんと対極ではあるが清廉潔白な美しさを感じる。リストカットという現実の病理を撮りながらもそれにまつわる社会的諸問題を削いでいき、真っ白いホリゾントの前に純化された彼女たちの姿だけを表出していく。古典的な手法ではあるけれど、それゆえかえってみるものの想像力(おもい)を無限に喚起する。

こんな作品を見ていると身体が引き締まる。背筋がぴんとなる。選評などと高みに立って書いている場合じゃない。友達になって、パワーをもらい教えを請いたいくらいだ。


・土田ヒロミ

志賀理江子は、いったい何を見つめようとしているのか。闇のなかに沈む人物たちは、手元の光線を綾取りするかのように他人と光を交換し合っているように見える。質量のない光の交換とは、こころのコミュニケーションを示唆するのか。己の個性が社会的に逸脱しているのかも知れないという孤独感。そんな闇の淵に震えながら立ち尽くす孤独を、写真ゲームでようやく着地点をみつけようとしている。写真を撮るという行為で、ようやく他者との関係性を保とうとする危うさのなかに、若さ特有の足掻きがよく表現されている。

また岡田敦「I am」は、己の闇から這い上がれない若者たちのドキュメント。他者とのコミュニケーションを渇望しながら、リストカットという不器用な方法でしか表現できない痛々しい青春に、白日のカメラの下に晒させる勇気を与えることで、救済を願っているように見える。

今年の受賞作が期せずして、共にこころの闇に向っていたのは、偶然の一致ともいえまい。


・都築響一

志賀さんと岡田さん、ふたりの作風は正反対だが、甲乙つけがたくて、ひとりに選びきれなかった。岡田さんの「I am」はリストカッターという被写体が、健全な鑑賞者を否応なしにおびえさせ、怖気づかせるだろうが、そういう見かけのグロテスクさの奥に、いまこの国で若者であることの苦しさがドクドク流れているようで、すごくフトコロの深い作品集だと思う。
志賀さんはロンドンのアート・カレッジで学び、いまもロンドンを拠点に活動を続ける、生きのいい作家だから、これはカメラを使った平面作品である。被写体は団地や身内など、身近なもののようだが、イメージの具現化のスタイルが際立っている。一枚ずつが、長い時間をかけて考え抜かれた画面になっていて、写真というメディアを操る画家の印象を受けた。いままでのどんなフォトグラファーに似ている、というようなものではなく、むしろフランシス・ベーコンの油絵のような、完璧にコントロールされたダークネスというものに強く惹かれる。
木村伊兵衛賞は新人に与えられる賞なのだから、今回のように1979年、80年生まれという若い作家が取ってくれるのは、すごくうれしい。芥川賞や直木賞のように、業界の活性化みたいな目論見を隠し持って、むりやり若者を選ぶのとはちがう、自然なかたちで若い作家がもっと活躍できる場をつくってあげること、それが年長の業界人のつとめなのだと思う。


・藤原新也

あの陰々滅々とした家族殺し相関図、ドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」が若い人を中心に数十万部の売り上げを記録しているという不可思議な現象。ここ数年、爆発的にヒットしているケータイ小説に描かれる暗く痛い現実。表現のベクトルはここにきて微妙に暗転しはじめているように思える。2008年のアカデミー賞にノミネートされた候補が例年になくシリアスな暗い作品ばかりという異例な出来事もまた、この動向が必ずしも日本に限ったことではないということを表しているのかもしれない。
今回、伊兵衛賞を受賞した志賀理江子の「CANARY」「Lilly」、岡田敦の「I am」もまた、この10年の一連の受賞作品には見られなかった身体や時代の濃密な闇をはらんでいる。
だがこのたびの選考結果は審査の方向を意識的に変化させたというわけではなく、俎上にのぼった作品群の中において、このブラックホールのような負の輝きを発する2作品にリアリティーを感じたということだ。時代の空気というものだろう。

家族の陰惨な殺し合いの時代に「ドラえもん」よりも「カラマゾフの兄弟」にリアルを感じはじめた、そんな風景と妙に重なる。
  1. 2008/04/29(火) 01:07:42|
  2. 写真集「I am」関連
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